敗 戦
その年も、暑い夏だったのでしょう。
「 夏 」
みかさんの描く女性は、面長で目を閉じているものが多いです。
考える女(人)、のような姿勢です。ロダンよりも難しい腕の形です。
きれいな緑色が目につきます。あまりない色ですね。
水玉模様が周りを舞い、髪にも。
テーブルのグラスは、ロングドリンクですね。
麦茶でも構いませんが。
「 空 」
「 世 界 」
対の作品です。空の形と、下の女性の腕の組み方、顔の向きが違います。
それぞれ、うまく対応されています。
「空」には雨粒のようなエンボスが見えます。
敬虔な思いが感じられ、シンプルな絵柄ですが、深い感動が得られます。
祈りを捧げる、本来の宗教的という意味が自然に表出しています。
「 あの夏の記憶 」
グラスの中に、海辺にいる女性が。顔立ちはいつもの女性とは違います。
空にはカモメが舞っています。
グラスの柄の中に、女性の腕が混然として溶け込み
ヒトデなど、海底の景色と一体となっています。
グラスの底からシャンパンの泡が立ち上っています。
海底の光景がみかさんらしく、独特な美しさがあります。
みかさんの作品には、記憶、思い出を感じさせるものが多いですね。
昭和20年の夏の記憶とは違います。
「みかさんの鳥たち」
「 航 海 す る 」
みかさんは作品の中で、鳥を沢山描きます。
ここの鳥たちはよく描かれる形のものです。
と言っても、動きのある、動的な鳥たちと、静的なものがあります。
ここの二つ「航海する」と「忘却へ」は、対の作品ですが、
並べて掛けることによって、更にその動きが広がって見えることがわかります。
どちらもエンボスで、絵の中に小人が舟を漕ぐ姿が描かれています。
エルフのようです。
「 忘 却 へ 」
ジェット戦闘機のような、力強さを感じます。動的な表現の代表です。
絵の中には、二つの作品とも、舟を漕ぐ小人がエンボスされています。
鳥の中にはいつも通り、別な絵柄が描かれています。
植物でしょうが、なんだか箒のような形態のものも。
航海、と忘却というタイトルは他の作品でも使われています。
みかさんにとってある思いをよぶ言葉なのでしょうか。
「 セカンド メッセージ 」
鳥の中には植物の葉の絵柄が見えますが、これは上掲の「航海する」「忘却へ」
と違い、動きのない、静的な鳥です。
「 忘却の間を航海する 」
バオバブのような木が見られる中に、大きな川が流れ、大きな魚の姿も見えます。
ラクダも歩き、エジプト、ユーフラテス、のようなイメージが湧いてきます。
「忘却の間を航海する」というタイトルは、みかさんの鳥たち の
「航海する」、「忘却へ」、というタイトルと関連しているのでしょうか。
「航海する」、「忘却へ」の二つの作品は、対のもので、
並べて掛けるようになっています。
ですから、みかさんの中では、「忘却の間を航海する」、というタイトルの作品と
同じ意味合いを持っていることが感じられますし、
この言葉にはある思いが込められているように見えます。
航海は、舟のイメージ、人生とまさに重なるものです。
忘却も、人生の流れの一部を形作っているものです。
なくてはならないものとも言えます。
「 海の精たち 」
真ん中の女性の左右にも、うっすらと二人の女性の姿が見えます。
腕の組み方は、「空」、「世界」の女性を思わせます。
青い深い海の中の、海の精たち。
マットの色も上手く組み合わされています。
「 セ ミ ( 蝉 )」
蝉が止まった木の前に立つ女性。
最初、男性かと思っていましたが、お下げ髪が右肩に見えます。
前髪も女性のものですし、上着の襟元もそうですね。
私の勘違いでした。夏の帽子を被っています。
目を閉じていますが、祈っているわけではなさそうです。
何も考えていない。無心の境地です。
木の幹の質感もいい感じです。
セミから思い出すのは、マルセル パニョルの「少年時代」を原作とする
イヴ・ロベール監督の映画 「マルセルの夏」「マルセルのお城」です。
映画、小説ともにいいものです。
木に止まっている蝉は、鳴いているのでしょうか。